後日発見されたお母さんの車 |
気仙沼の魚町育ちのこうちゃんはあのとき2歳半でした。もう片言のおしゃべりができるようになっていました。あの日、お母さんと一緒に一関に行っていました。その帰り道のことです、とても大きな地震があったのは。お母さんは心配になって車を飛ばして急いでお家に帰ります。近所のお米屋さんの角を曲がって、すぐそこにお家が見えたときです。道路に水が。それがみるみる大きくなって向かってきます。一瞬で怖くなって、車を捨てて逃げ出しますが、あっという間に水がお母さんの背の高さに。車が流されていきます。なにがどうなっているんだか。こうちゃんはお母さんの腕に抱えられたままです。必死にこっちだよって、聞き覚えのあるお米屋さんのおばあちゃんの声。水に呑まれながら、無我夢中でお米屋さんの2階に救われたときのことは、お母さんもよく覚えていません。びしょぬれになって、こわくて、寒くて。暗くなってジージ、バーバ、ジッチャン、バッチャン、ミノルおじちゃん、パパ、みんなどうしたんだろうって。こうちゃんは、そのときのことをところどころ覚えています。あれから、ジッチャン、バッチャンには会っていません。
今日、そんなこうちゃんにいいことがありました。おとうとが生まれたのです。3200gですって。こうちゃんによく似た目鼻のおとうとでした。こうちゃんたちには、高田の田舎に、冬が来る前に家ができます。そうしたら、また、ジージ、バーバ、ミノルおじちゃんたちと一緒に住めます。でも、ジッチャン、バッチャンがいません。どうしたんだろう。
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