「さらば戦争!映画祭」(12月4日)は魔法瓶に熱いお茶を入れたのを持って行き朝から晩まで観た。右端の一番後ろにいらっしゃるご老人の顔を見て、チラシに載っている本日最後の映画の主人公、その人だとわかった。この人も朝からずっと観ていた。くたびれた様子はない。益永スミコさん、今年87歳。ドキュメンタリー映像の中でも、ご本人の質疑応答形式のトークでも、口調と内容は明晰である。プラカードを首から掛けて一人街頭宣伝をする。今日もその姿で登壇し「動くプラカード」だと紹介された。大分の出身であること、今は私と同じ市内に住んでいることがわかって驚いた。
どうしてそんなに元気なのか、何故エネルギーが出てくるのかと問われて、「従わない」ことにしたという。生まれてきて、親に、地域に、国に、天皇に、夫に、職場に、こんどは子に従えという。それをやめた。従いっ放しでは世の中おかしくなる!「従わない」ということは刃向かうことで、ろくでもないと言われる。しかし、従わない生き方をすることにして自分の頭で考えることにした。
映画は国会前の抗議行動の場面から始まる。前の教育基本法が自公政権によって葬り去られようとしていたあの2006年12月のことである。人間を謳い優れた人間観そしてそれこそ「美しい」法律だった。このころ私は人生のつらい時期で、なおかつこの教育基本法があの安倍政権によって葬り去られたことでよけい落ち込んだのでよく覚えている。そのときに、この小さな益永さんは体を張って頑張っていたのだ。同じ思いのひとがいる。このときは、大分からわざわざ上京してきて参加していた。
戦前戦後、貧乏で今日の食うことしか考えていなかった。この人が生き方を変えたのは、ベトナム戦争とその後の自分の職場に労働組合をつくったことだった。47歳のときだ。ベトナム戦争の報道を見て「かわいそう」だと思った。なにかしたい、それでお坊さんが募っていたカンパを自分の働く病院の職場に広め、お金を送った。それを職場で咎められた。では、なんなのだろうということと、ほとんど無権利で働かされ、なおかつ「看護の間引き」というまともな医療がなされていないという主張から、なんとかならないかとオルグの支援も受けて女の仲間達で労働組合を立ち上げる。その闘いのなかから、社会的な仕組みにも目覚めていくという絵に描いたような闘士になっていく。女として助産婦として戦前は男達を戦場に送り出していた、そんな教育勅語で育ち「軍国少女」だったらしい。初めてまともに憲法を読んだのも1970年、着目したのは9条、武器もとらぬ、戦争はせんと世界に約束をしたんだから、その通りにせにゃいかん。
益永さんは私の親の世代である。ベトナム戦争が人生の転機をつくった。私もベトナム戦争に教わったと考えている。あれをベトコンと呼びまるで人間扱いをせぬ政府や新聞やテレビのような当時の通念よりも、穴倉に身を潜め落とされる爆弾を避けている人々の側につくべきだということを学んだ。
DVD「死んどるヒマはない―益永スミコ86歳」 いま一番心配なのは憲法9条!より、
『益永スミコさんは、1923年大分で生まれた。教育勅語で育ち「軍国少女」だった彼女は、助産婦として病院に勤務していた当時、多くの兵士を戦地に送り だした。戦後は食べることに追われ、社会のことを考えるゆとりもなかったが、47歳で労働組合を作ってから、本当の歴史を学び、どのように生きるかを学 んだ。それは「二度と戦争をしない」を基本に、平和な社会、人間が人間らしく生きられる社会を目指すことだった。その後、アムネスティの活動から死刑囚 の母にもなる。人権擁護、死刑廃止、憲法9条を守る運動などに献身的にかかわる益永さんは、86歳の今もひとりで街頭に立ち人々に呼びかけている。』
(2010年5月制作・70分、4,500円、監督:松原明、佐々木有美 制作:ビデオプレス)
映像には彼女がひとりで街頭宣伝、署名活動を行う場面がいくつも出てくる。マイクを使わぬ声はよくとおり、内容は明瞭だ。大分の緒方に住んでいた時代は定期券を買い日豊線を一時間かけて通い、大分駅前で、繁華街のトキハデパート前で、行う。2名分の署名がとれれば大成果だ。誰も聞いていないようにみえる。私ももし、その場を通りかかったら変なおばあちゃんとひいてしまうかもしれない。いつもやっていることで、しかも堂々としているから、そういう度胸の座った人なのだと思ってしまうが、監督の佐々木有美さんによると街頭宣伝は実はすごく緊張しているのだという。お昼に買ったお弁当が胃の緊張で受け付けないときがあるという。右翼のひとも声を掛けてくれる。戦争に行った人も声をかけてくれる。立場も名前も住所も明かしてはくれぬが、戦争で体験したことをぼそぼそと教えてくれるそうだ。それを益永さんはあとでメモをして記録している。本当のことは家族にも語れない、かといって何かにも残せない。街頭で教育勅語のいう通り男達を戦場に送り出した経験と、憲法9条を守れと一人で訴える同年代の益永さんにまるで「言葉を託す」ようだ。声を掛けてくれる人は思いやりもかけてくれるそうだ。
この人は日本社会があいまいにしてきた天皇制、戦争責任に真正面から立ち向かうと、佐々木監督は紹介する。だから、一見「変人」のように見える。しかし歴史的にも、国際的にも「変な」のは今居る私たちの社会の方だと考える。
どうしてそんな勇気があるのですか、という問いに、気の向くままやっているのが一番あっているのではと。言いたい放題のことを言って、聞いてくれる人がいる。いつも街角でやって聞いてくれる人はいないが、今日は会場でたくさん聞いてくれる人がいてありがたいと結んだ。
どうしてそんなに元気なのか、何故エネルギーが出てくるのかと問われて、「従わない」ことにしたという。生まれてきて、親に、地域に、国に、天皇に、夫に、職場に、こんどは子に従えという。それをやめた。従いっ放しでは世の中おかしくなる!「従わない」ということは刃向かうことで、ろくでもないと言われる。しかし、従わない生き方をすることにして自分の頭で考えることにした。
映画は国会前の抗議行動の場面から始まる。前の教育基本法が自公政権によって葬り去られようとしていたあの2006年12月のことである。人間を謳い優れた人間観そしてそれこそ「美しい」法律だった。このころ私は人生のつらい時期で、なおかつこの教育基本法があの安倍政権によって葬り去られたことでよけい落ち込んだのでよく覚えている。そのときに、この小さな益永さんは体を張って頑張っていたのだ。同じ思いのひとがいる。このときは、大分からわざわざ上京してきて参加していた。
戦前戦後、貧乏で今日の食うことしか考えていなかった。この人が生き方を変えたのは、ベトナム戦争とその後の自分の職場に労働組合をつくったことだった。47歳のときだ。ベトナム戦争の報道を見て「かわいそう」だと思った。なにかしたい、それでお坊さんが募っていたカンパを自分の働く病院の職場に広め、お金を送った。それを職場で咎められた。では、なんなのだろうということと、ほとんど無権利で働かされ、なおかつ「看護の間引き」というまともな医療がなされていないという主張から、なんとかならないかとオルグの支援も受けて女の仲間達で労働組合を立ち上げる。その闘いのなかから、社会的な仕組みにも目覚めていくという絵に描いたような闘士になっていく。女として助産婦として戦前は男達を戦場に送り出していた、そんな教育勅語で育ち「軍国少女」だったらしい。初めてまともに憲法を読んだのも1970年、着目したのは9条、武器もとらぬ、戦争はせんと世界に約束をしたんだから、その通りにせにゃいかん。
益永さんは私の親の世代である。ベトナム戦争が人生の転機をつくった。私もベトナム戦争に教わったと考えている。あれをベトコンと呼びまるで人間扱いをせぬ政府や新聞やテレビのような当時の通念よりも、穴倉に身を潜め落とされる爆弾を避けている人々の側につくべきだということを学んだ。
DVD「死んどるヒマはない―益永スミコ86歳」 いま一番心配なのは憲法9条!より、
『益永スミコさんは、1923年大分で生まれた。教育勅語で育ち「軍国少女」だった彼女は、助産婦として病院に勤務していた当時、多くの兵士を戦地に送り だした。戦後は食べることに追われ、社会のことを考えるゆとりもなかったが、47歳で労働組合を作ってから、本当の歴史を学び、どのように生きるかを学 んだ。それは「二度と戦争をしない」を基本に、平和な社会、人間が人間らしく生きられる社会を目指すことだった。その後、アムネスティの活動から死刑囚 の母にもなる。人権擁護、死刑廃止、憲法9条を守る運動などに献身的にかかわる益永さんは、86歳の今もひとりで街頭に立ち人々に呼びかけている。』
(2010年5月制作・70分、4,500円、監督:松原明、佐々木有美 制作:ビデオプレス)
映像には彼女がひとりで街頭宣伝、署名活動を行う場面がいくつも出てくる。マイクを使わぬ声はよくとおり、内容は明瞭だ。大分の緒方に住んでいた時代は定期券を買い日豊線を一時間かけて通い、大分駅前で、繁華街のトキハデパート前で、行う。2名分の署名がとれれば大成果だ。誰も聞いていないようにみえる。私ももし、その場を通りかかったら変なおばあちゃんとひいてしまうかもしれない。いつもやっていることで、しかも堂々としているから、そういう度胸の座った人なのだと思ってしまうが、監督の佐々木有美さんによると街頭宣伝は実はすごく緊張しているのだという。お昼に買ったお弁当が胃の緊張で受け付けないときがあるという。右翼のひとも声を掛けてくれる。戦争に行った人も声をかけてくれる。立場も名前も住所も明かしてはくれぬが、戦争で体験したことをぼそぼそと教えてくれるそうだ。それを益永さんはあとでメモをして記録している。本当のことは家族にも語れない、かといって何かにも残せない。街頭で教育勅語のいう通り男達を戦場に送り出した経験と、憲法9条を守れと一人で訴える同年代の益永さんにまるで「言葉を託す」ようだ。声を掛けてくれる人は思いやりもかけてくれるそうだ。
この人は日本社会があいまいにしてきた天皇制、戦争責任に真正面から立ち向かうと、佐々木監督は紹介する。だから、一見「変人」のように見える。しかし歴史的にも、国際的にも「変な」のは今居る私たちの社会の方だと考える。
どうしてそんな勇気があるのですか、という問いに、気の向くままやっているのが一番あっているのではと。言いたい放題のことを言って、聞いてくれる人がいる。いつも街角でやって聞いてくれる人はいないが、今日は会場でたくさん聞いてくれる人がいてありがたいと結んだ。
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