2009年12月19日土曜日

志のものづくり


 私は両国の土俵のある割烹「吉葉」のちゃんこ鍋で、妻殿は立川でムツゴロウ・ミュージカルの解散式で、それぞれ飲み会。で、今どこですかと帰りにメールをしたらなんと!同じ電車、どうしても「赤い糸」で結ばれているらしい。むふふ。

 今のことはよく知らない。上野から常磐線でビジネス特急に乗ると終点は水戸ではなく何故か勝田。そこで茨城交通線に乗り換えてとことこと那珂湊に行くことができる。すとーんと落ちるように海に出るような印象がある。違ったかな。ここに昔、湧いてくるほど魚や蛸が獲れたときのことを知らない。ただその名残りがあって今でも水産加工の拠点である。那珂湊から少し南に行くと大洗でここは少しリゾートのような垢抜けた雰囲気がある。私たちは「那珂湊の先」、洒落でいつも「大洗」(大笑い)しようと言っていた。

 「網を伝って湧くほど」と表現されていたのが西アフリカ沖でとれるタコだったらしい。このタコを山ほど持ってきて埼玉・群馬・そして長野の「海無し県」に「ゆでだこ(または蒸しだこ)」を売った。大阪のひとたちも蛸好きだが、この関東の「海無し県」の人たちも“親の敵”のように食べる。同じ蛸好きでも文化が違う、そして加工の仕方・こだわりが違う。関東の加工産地は那珂湊・大洗近辺だった。明け方ごろから加工の準備をし、手間ひまかけて多量のたこを加工した。回転式の木樽がいくつも並んで壮観だった、そんな現場に付き合って仕入れを経験したことがある。そして今はそのころからとは一世代下のひとたちとお付き合いをしている。

 こんな蛸(国産の蛸を生から加工したもの)をつくったからと、暮れのあいさつにいただいた。それでお礼のメールを土曜日の夜遅く職場に入れたら、まだ働いているらしく、「うれしい悲鳴です」と返礼がくる。タコは年末商材だ。国内に留まっていてよかったね。手間ひまかかる、つまり人手のかかる工程を経るのでこの業界の主なところは中国加工に進出して行った。そして挫折した。たまたま彼のところは躊躇して行かなかった。父親が急逝したので、彼は30歳そこそこで3代目として跡を継いだ。私とはわずか一年の付き合いだったが、当時「食」のものづくりに「志」あれと若い彼に心から訴えた。難しい経営もあるのだろうが、その「志」(使命)に応えてくれているような気もする。がんばれ!中小企業、モノづくり。

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