漫画家の武内つなよしさんが描く「赤胴鈴之助」似のくるくる目。立て板に水の雄弁。あのときの印象のままだった。9月の末の前回の会議で6年ぶりぐらいに再会した。そのとき会議の終わったあと焼鳥屋さんでみなと一緒に飲んだ。「わずか3kgの種味噌だけど・・・」に始まって、いかに意義のあることかと見通し、熱き思いを理路整然と語る。途中、8時までにはここを立たないと家に帰り着つかないと言うので退席をする。会えてうれしかったと握手を求めれば、思わず固く握りかえされる。
当時、いつものおおげさな表現で「埼玉のチベット」というところに行くぞと執行役員から誘われた。夜の内に入り翌朝から行動する。同行相手はもう一人、大学の教授、行き先の生産者を引き合せてくださる。公用車を使うというから本来は平職員の私がハンドルを握らなければいけないのだろうが、運転に自信はない。免許をとったのは30代後半。業務で使う経歴もなかったし、普段も遠出はしない。構わんよと言われて執行役員の運転で大学教授は助手席に座り二人で親しげに語りながら、私は後部座席に小さくなって座って行った。
平成の広域合併で今はなくなったが、神がかり的な名前の村で、村をあげて環境保全と有機農業や林業の振興を行っていた。埼玉県とはいうもののほとんど群馬県との境で、国道を進めば上野村にも通じる。その醸造メーカーはここのそういう施策の中心的な企業ということだった。ここの山に湧く水がいいということで、わざわざ工場を移転してきたという。そしてこのような事業を展開するこのメーカーのキーパーソンだというのが彼の印象だった。もとは商社マンだったという、語学も堪能らしい。若くして生き方を変え、この埼玉の片隅で醸造業の管理職を務め、我々を案内して説明するにしても穏やかであるが見識は広くまた深かった。
窓口になるようにといわれて2年ほどお付き合いをして、つないだ。そして私は帰任した。今でも撒いた種はつながっている。いつだったのだろう、紅葉と特産の三波石の映える川面が見事なときだった。その美しさを覚えている。これからの時期になる。
当時一緒に親しく飲んだ記憶はない。今日は遅くなったから飲むことなく別れたが、酔えば2時間ぐらいはしゃべりますよと言っていたが本当だろう。穏やかな口調だが、中味は柔軟かつ豪快、人の生き方として筋が通っているから人をして納得させる。
また、めぐり合えたとは不思議な縁を感じる。相性がいいというのだろうか。
赤胴鈴之助似の人懐っこいくるくる目。
2011年10月17日月曜日
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