
職場でノーネクタイが昨日より始まっていて忘れていた。それにしても雨が降って、自転車を握る手が冷たい。ふつうに植えたゴーヤは育たない。
ノーネクタイとは、そうでないときは着用せよということになる。着用する、しないはいい。ネクタイの規定はそれまではなかったから、おおげさにいえば服務規程に加わったことになる。男のネクタイ、革靴着用は職場のビジネスマナー、常識の範囲ではあった。
「日の丸をみると胸がジーンとする」と北の湖さんが現役のときに言った。友人たちで話題にしたことを印象的に覚えている。同い年の発言だったから少しショックだった。「飢えも虱も知らない、親は昭和の生まれ、兄弟はだいたい二人」の「花のにっぱち」と呼ばれた世代。世代的には潮目だったのかもしれない。
日の丸は間違いなく血潮に染まった。日の丸は侵略と支配の印として、される側を威圧し、する側を鼓舞した。ひとの命よりも大事にされたもののひとつだった。御真影、菊の御紋、日の丸、軍旗など。
空気があった。
学校で「祝日には日の丸をあげましょう」と猫なで声に教え込まれて、すなおに家に伝えても、そうだねと言いながらそのころの親たちにはやりすごす雰囲気があった(今も普通にはそうだろう)。そんなに無理にさせられなくてもいいんだという戦後の安堵があった。ことさら日の丸を掲げることに懲りていたのではないか。
時代は移ろい、今、日の丸に戦(いくさ)のシンボル、血染めのイメージをもつ人がいかほどいるのだろうか。アスリートたちの北京で日の丸を揚げたいという無邪気さをとりたててどうのこうのとは考えなくなっている。
父兄という立場でさえ不起立はストレスだった。「一同ご起立ください」と号令をかけられても当然のように着席のままでいたが、4人も育てるうちに段々少数派になっていくのを肌で感じた。
もとは同僚または後輩あるいはずっと軽輩の「教頭先生」から慇懃に「ご起立ください」と脅され、屈せずに不起立を貫きとおす先生たちが都内の公立の学校にいるらしい。
いや、いる!
幾度も「処分」を受け、不当な処遇を受ける。先生たちの「葛藤の末の勇気」、苦労、いや‘悔しさ’を思う。
君が代は今更いくら古典的解釈をしようとも、言い逃れをしようとも、天皇君臨賛美の歌である。しかもそれは戦前の天皇制を肯定することに作用する。
日の丸のもとは国籍を表す船の旗印(島津斉彬が最初に使ったという)だった。とはいえ、明治以来の戦争では侵略のシンボルと化した。戦地、占領地、支配地、役所学校駐在所、臣民宅、ありとあらゆるところに翩翻とひるがえった。
石原慎太郎さんはこのことが好きで、こういう有様が美しいと思っているのである。年下のお坊ちゃま安倍晋三さんもそう勘違いし、錯誤した。この方は人間の個性と尊厳を謳った前の「教育基本法」を06年12月15日に葬り去った「戦後の戦犯」でありますまいか。
だうなるのだろう。この昨今の肌寒さ。