2009年11月5日木曜日

「ムツゴロウ・ラプソディー」CM完成!

実行委員“めぐりん”さんの力作です。
ムツゴロウ・ラプソディCMはYoutubeからどうぞ 
 http://www.youtube.com/watch?v=_U7_DOPf7s4

ムツゴロウ・ラプソディーブログの
“あいるのかーち”さんの投稿より、
以下勝手に引用させていただきます。

『キャストも、疲れた身体をさらに、稽古の帰りに駅で一人一人にチラシまき、歌をうたって~
スタッフも、弁護士も、地域の実行委員会の方々も、風邪や、インフルエンザにたたかいながら、
設備、規模は、劇団四季におとらないもの!
スポンサーもなくて、手弁当、赤字覚悟、でやってるから、
キャッツのお金で
家族みんなで観られる~♪
時間をかけて、身体をはった、愛と情熱のミュージカルは、今の世の中、ほかにはありましぇん!!
(絶対と言う言葉はなかなか使わないけど)、絶対、損はさせません~
人生の思い出になれる、ミュージカル!
100人以上のエネルギーをキャスト100人が、思いを一つにして、演じます\(^o^)/ 』

七つの祝い


 かつて九州では長いこと百円札(板垣退助さん)が流通していました。義兄によれば五十円札(高橋是清さん)もあったらしいです。祝儀袋に収まったこの高額で無いお札は義理の儀礼に使うのに重宝でした。百円玉ではそうはいきません。五百円札(岩倉具視さん)ではちと多すぎます。
 数えで七つ、小学校に上がる前のころのことでした。七五三、七つのお祝いにとご近所、それも広範囲のご近所から御祝儀袋が届けられました。その様子を記憶しています。
 見ず知らずというかあまり縁のない遠いご近所の方まで訪ねて来てそれを置いていきました。その家庭に七つになる子がいれば、当たり前に持っていく慣わしか何かが普通にあったのだろうと思いますし、わざわざ伝え聞いてまで持ってくるというのはそういう行為が何か御利益(ごりやく)があると考えられていたのではと思います。中味は百円札一枚でした。贈る方ももらう方も負担になるものではありません。七つになる子がいればお互い様、地域あげてよく育ったねとお祝いしてあげていた名残りだったのでしょうか。
 瞬く間に百円札がたまりました。そのたびにそのお客さんにお会いしてご挨拶をさせられました。「半ちゃんに」と言って、もってこられましたので、てっきり私のものだと思っていました。人見知りだった私が我慢して表に立ったのはそのせいでしたのに、とうとう母からは百円札一枚ももらえませんでした。一日五円が小遣いでしたので百円札一枚は大金でした。そのせいで覚えているのでしょう、私にはどこか執念深いところがあるようです。
 
 田中優子さんの著書『カムイ伝講義』「子どもとはなにか?」にあります「七歳前後まで育つことがめでたいことであり、ありがたいことであった社会があった」の記述でふと思い出したのです。

 皆がどこそこには七つのお祝いの子がいることを知っていました、知ろうとしていたように思います。無関心ではありませんでした。地域が子どもを支援していたように考えます。

2009年11月4日水曜日

安くなければ売れないから


 売り場では各社値下げ競争が止まらない。生き残りのため。食うか食われるかの段階を「競争」という、競合段階を通り過ぎた概念だ。値下げをしなければ売れない、と思っている、いや実態が確認されている、きれいごとではない。可処分所得が少ないからだ。そのことの働く人々の運動や農業などの生産となんらつながりはない。ただひたすら「安さ」、「買いやすい安さ」を何とか演出して買ってもらおうとしている。一刻も早く売上を回復したいと考えている。
 するとこういうことが起きている。我が国の小売の最大手はI社。安くするためには、I社をスタンダードとして、それより品質(と味)を下げさえしなければ、安くするための手段は問われない。何をしてもよい。それでI社の品質とほとんど横並びとなり、価格を高くするような要因例えば国産原料だとかこれだけはという素材を放り出しつつある。安くするためにトレードオフという手段があって本来は無駄な機能を排除するという手法だが、商品哲学までも無駄という理屈がまかり通るような「安さ」への追求となってきている。おそらく拠って立つ基盤を自ら壊しつつあると考えられる。集団催眠にかかったようにみなが皆その方向に進んでいる。会議は事務的に進む。そして書類の不備、記載の不備の枝葉末節だけが目を皿にするように見つけ出されて「検討」「点検」が終わる。
 安くなければ売れない…。そうして当面売れればよいか。売れなければ安さが不足していたという見直し。忙しいだけの仕事なのだけれども。

2009年11月3日火曜日

遅くまで稽古


思ったとおり四谷から新宿駅までは歩いてすぐだった。それにしてもなんて大都会なんだろう。建物、お店、歩道もきれいでりっぱだ。そして人があふれている。

いつかの稽古の後、何かの拍子でRちゃんは迷子になり午前2時までみつからないという騒動があった。昨年たまたまミュージカルを観たRちゃん親子は心が動くことがあってもう一度観たそうだ。車椅子の人が出演していた。私も観たがそれは不思議な光景だった、車椅子の出演者が縦横無尽に動いて誰もぶつからない、それは見事だった印象が残っている。腕の不自由な人もいた。障害の有る人もそうで無い人もそれぞれがそれぞれを引き立てているというのをお母さんは感じたという。Rちゃんもダウン症の子だ。アンケートに「自分も出てみたい」と書いて、実際、今年初めて出演することになった。車椅子の人は、今年は出ていないが、Rちゃんが頑張っている。初演まであと4日、昨日は音楽監督から雷が落ちたそうだが、今日はそんなことはなかったが遅くまで練習になった。いよいよゲネプロ、そして初演を迎える。

佐渡「文楽人形」東京上演会


伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ♪でおめでたい「春駒(はりこま)」でまずは演目が始まる。双葉座の代表の方によると彼らの集落では伝統芸能を継承することにした、だから村の若者も自分たちも全員「春駒」が演じられるようになったという。

「(佐渡の)どこの出だ?」と聞かれる。会場になった四谷の東京おもちゃ美術館の入り口で開場まで訪れる人たちの誘導案内をした。1時間半もしていたからほとんど全員と対面したことになるだろう、そうしているうちに佐渡人であるかないか区別がつくようになってきた。一緒にいたOさんがどうしてわかるのかと聞いても説明できない、なんとなくわかるようになった。これは琉球舞踊の会場で琉球人が、奄美民謡で奄美人が、物産展で薩摩人が集まってくるときの雰囲気と共通するものがあるからだ。大半は在京の佐渡野浦の人々がこの催しに駆けつけたようだ。入り口では同窓会のような会話がはずむのが聞こえてくる。

文楽人形上演の双葉座は結成30周年になった。佐渡の野浦集落から来た上演者12名みなが皆百姓であると、有機農業にとりくみトキが再び舞う里作りに励んでいる、そして伝わる芸能を守り継承するという紹介というか決意が展開される。実行委員会による“よみがえれ!トキ 佐渡「文楽人形」上演会”は朝から用意した椅子の数を超えた、見事に盛況だった。

2009年11月2日月曜日

聞いてない


来る日も来る日も鉄砲玉が飛んでくる前線にいる。塹壕にいるがいつも突撃命令がでる。もうたまらない。援護射撃は無い。補充も無い。「西部戦線異状なし」(レマルク原作1929年)かカーク・ダグラス主演の映画「突撃」(スタンリー・キューブリック監督)だ。っと、いきなり後方の部隊から敵味方も吹き飛ばすような砲撃をくらったようだった。「地獄の黙示録」のワンシーンの絵図。

材質までは調べられた。現物があるから形状は明確だ。それが何なのか、入る可能性はないのか、絶対に無いといえるのか。ここで半信だった。では、誤って入っていた場合加熱の影響を受けるのかどうか、透過式検出装置で検知排除できるのか。検証の結果、製造工程の加熱をされても影響を受けない、検出器にも反応しない、つまり入っていなかったとは証明できなかった。ここでも半疑だったようだ。矢面に立つ当事者としてかかわって、正直苦労した。ときには人格までこきおろされる。結局は「特定不能」と回答し不興を買った、ただそういうことはいくらでもある。それから幾日も過ぎた。ところがどっこい、新たに2件目が出て急転直下、よく調べてみたら製造工程から出てきたといっていきなり社告、自主回収ときた(それはそれでいいが)。しかも我家でとっている新聞には載っておらず、机上に配ってあった新聞のコピーを週明け出勤して見せられて初めて知った。商品部や品質保証部には直前の連絡もあったのだろうが、矢面にたって何日も責められ、調査を再三再四工場に依頼しつつ、つらい思いをした現場にはなんの連絡もフォローもない。あるのは上から下りてきた発表文書のみ。
トップがこれからは大事な仕事だといっていた美辞麗句とはほど遠く、部署や置かれた者のステイタスはやはり低いことを思い知る。たんなる猫撫でにすぎなかった。これでは声やご指摘をホントに活かす体質が構築できるとは思えない。最近では過剰配置だったと悔やんでいるようにも思える。
ただ、粘って食いついていたからこそ布石となって、2件目が出た時、工場側がさすがにピンときたという緊張感を保たせていたことになったと自負してはいる。が、今一歩踏み込む権能があったらと考える。限界があるとはいえ後味が悪い。いつも映画「シンドラーのリスト」の最後のシーンを思い起こす。 ああしておけばよかった、こうしておけばよかったと。

今日は「聞いてない」ということばっかりか。案内も連絡もなくて面子には入っていると直前に言われても、さて困ったものだ。さっ、明日は早朝出発、ボランティア、よし人足だ。ブーワンだ(人間も捨て、なんでも呑み込むぞという、流行らせたい余情流造語)!

2009年11月1日日曜日

ブーワン


 少し風邪気味のように感じた。頭痛がする、くしゃみが出る。だが、暖かくてなんとかなった。報道されるニュースの冒頭はインフルエンザが広まっている件だ。
 遅くに妻殿は帰ってきた。白菜鍋で迎える。初日を埋めたい、だがそうは運んでいないようだ。私たちの息子の世代である事務局長の小林弁護士のことは学生のときから知っているが、とてもすばらしい人格に成長したと何かにつれそう思っていた。彼もみんなに心配をかけまいとしていても、思うようにはならない。
 それでせめてなんとかしようと、かねて観に来てくれると言っていた姪御に連絡をしてみる、彼女も風邪気味だった。聞けば最終日を予定してくれているそうだ、初日というわけではなかったがそれはそれでありがたい。
 舞台では髪を後ろで結い、化粧をするそうだ、3日の稽古を最後に7日の本番を迎える。出演者である妻殿たち自身も皆が観に来てくれるように頑張っている、そして今日までにみんなの協力をいただいた。私は明日も、初日に行ってくれる人はいないか職場で訊いてみようと思う。
 芸術としてミュージカルを構成すること、そして企画として喜んでもらえる市民ミュージカルを成功させること、さあ大変だ。熟女軍団として妻殿は、ブーワンという諫早湾にいた貪欲な貝(アカニシ貝)さんを演じる。成り切るらしい。先日、諫早に行き“とも食い”までしてきた。そう役柄を食ってきた。
 やりがいを見出せて身体にもいい効果がでてきた、だいぶ、ひきしまってきたようにみえる。このブーワンとかいう貝から、ひとつの曲が生まれたのは今年の一月、げに、創作、芸術とはすばらしい。