2010年4月17日土曜日

おくる


 昨夜は職場から早めに帰ってきた。冷たい雨の中、自転車を漕いで斎場へ急いだ。今朝はこの時期に冗談かと思っていた雪が残っていた。

 茨城県牛久沼のほとりに住井すゑさん(~95年)の主宰する塾「抱僕舎」があったそうだが、まだ小学生だった二男も連れて妻殿たちは訪ねて行ったことがある。その仲間に斎藤さんもいた。ご近所の朗らかな人で20数年お付き合いしてお互いに歳を重ねた。住井すゑさんの、人間の価値や尊厳を大事にすることへの歯切れはすこぶるよい。権力も‘東大’もギャフンだ。

 荘厳な音楽と黙祷で始まり、喪主である斎藤さんは淡々と挨拶をなさった。私は実は無宗教で行う葬儀の参列は初めてだった。棺の上に大きな望遠レンズのついたカメラがある。誰かカメラマンの人でも置いているのだろうかと入ってきたときは思ったのだが、故人は写真とクラッシックが好きだったそうで合点がいった。両側に故郷の新潟の風景と住まいの界隈を撮った写真が飾ってあった。私は故人にはお会いしていないような気がする。いつも斎藤さんの話を、妻殿を通して聞いていた。故人がアルコール依存症になって難儀なさって長かった話を聞いている。飾ってある遺影は斎藤さんがデジカメで撮ったそうだ、ご主人はいやがったそうだがついにっこりとしたところがうまく写っていた。あらためて、心根の優しい人だったのではないかと想像した。

  あのとき牛久の住井すゑさんのお宅を訪ねるときの息子のスナップを撮って載せてくれたのは誰だったのだろう。

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