2009年9月30日水曜日

その通り

息咳切って電車に駆け込む。余裕をもって家を出たつもりが、ゴミ出し、ポスト投函を計算に入れていなかった。

駅までは歩けば遠いので自転車を使う。帰途、普段の通勤路でない順路を行くことがある。気まぐれである。

そこを勝手に“ネコ通り”と呼んでいる。我が住まいの団地の中にある。どこぞの家ネコとおぼしき者どもが天下の公道に寝そべっている。しかも堂々としている。こちらは自転車で通りかかる。ベルを鳴らしてもどく気配はない。さらさら無い。どの子も屁とも思っていない。なまいきだ、とんでもないヤツラだと思いながら、通勤路でもないこの通りをつい通ってしまう。

そうだ、この団地に越してきた時は、ところどころに魚屋さん、八百屋さん、本屋さん、薬局があった。そして地元の小さなスーパーもあった。それが魚屋さん、八百屋さん、薬局、スーパーという順番に、そして本屋さんが消えていった。クリーニング屋さんと蒲団屋さんと化粧品&小間物屋さんが残っているのかな。団地の人々は高齢化した。若い人があまりいない。

そう言えば、我家からも若者が消えた。

2009年9月29日火曜日

思いめぐらしてみよう

 この列島の人たちは朝鮮半島伝いに大陸からやってきて、島伝いに南からもやって来たと考えられています。大王(おおきみ)と呼ばれる近畿の王権が有力になって、豪族を取り込み、支配体制を整えました。有史上の話ではその版図に入らぬものを征伐、征討しました。東北のエゾ(蝦夷)、九州のクマソ(熊襲)、ハヤト(隼人)が、そうらしい。名目上とはいえ征夷大将軍の体制は江戸幕府が閉じるまで続きました。

 ところが、そういう版図や有史の範疇にも入らぬ歴史があるらしいのです。歴史学その他の学問や報道の発達によって解明されつつあります。学校で受験のために習った歴史よりも、もっと壮大で豊な営みの積み上げとその世界があることが知られつつあります。

 リューキュー(琉球)やアマミ(奄美)の海洋に踊り出た人々の形跡。歴史の何層もの下に埋められたエゾ、クマソ、ハヤトの人々の抵抗、服従、支配の形跡。大きく東アジアを見れば北方のエゾ、アイヌには環オホーツクの交流の形跡があります。そして列島全体には環日本海の交流の歴史があると考えられます。

 固定概念、つくられた歴史、国家の制度に縛られることなく、人々の歴史を観ようとしたら楽しくなります。人と歴史と地理を違う観点から観ることでおもしろくなるかもしれないし、今の私達自身の生き方にも参考になるかなと考えられます。例えば環日本海世界を想像してみれば、また隣人との暮らし方について再認識させられます。

2009年9月28日月曜日

熊本の男は泣かん


俳優の笠智衆さんは「熊本の男は泣かん」と言ったそうだ。そこで脚本家の山田太一さんはひざ詰めでお願いしたそうだ。そうしてドラマ「冬構え」(85年NHK)ではそのシーンが実現する。そのことがよかったのかどうかと、24年経った今、老山田さんは振り返る。

その話を熊本出身のUさんにした。大笑いである。この県の人には笠智衆さんのようなところがある。ひとことでいえば「肥後もっこす」。なんともそういう県民性がある。そしてときには手も焼くが、ほほえましいところもある。「冬構え」のあらすじを話してあげる。このドラマに出ていた今は亡き名優たちのことも。

そのUさんがしばらく休むという。何事かと思えば、娘さんの彼氏のフランス人の両親が弟もつれて来日するそうだ。その接待で有休を使うらしい。

ところで、今日は券が2枚売れた。
もう買ってくれないのかなと思って声をかけたらあっさりと買ってもらえた。

昨日千秋楽の朝青龍白鵬戦を観たが、すごかったなぁ。本割の白鵬のすごい立ち合いと投げ、朝青龍をひっくり返して投げ捨てた(勝負そのものは立ち合いの勢いで朝青龍が足をだして「よりきり」で負け)。そして決定戦では今度は朝青龍が厳しい立ち合いの末、白鵬をくだした。久しぶりのすごい迫力。よく考えればふたりともモンゴルの人だ。そして夜はETVで“蒙古襲来”を観る、二人のあんな顔とか勢いで攻めてきたのだろうなぁとヘンな想像をする。Uさんにそういう話もした。

2009年9月27日日曜日

交流

元気なうちに死ぬ。それができない。
昨日NHKアーカイブスでドラマ「冬構え」(山田太一脚本、主演 笠智衆 85年)を観る。名優のみなさんが名を連ねる。このところレンタルで笠智衆さんの出てくる映画(「東京物語」、「故郷」、「家族」)づくしで、また味わいのある名作だった。

やはり環日本海世界があった。
そして、真夜中に再放送のETV特集「日本と朝鮮半島の2千年」“⑤日本海の道”を観る。
ボーヘ(渤海国)だ。日本海に海の道があり、渤海国内に首都から日本への道(日本道)があった。日本海は秋になれば北西の風が吹き、春から夏にかけて南から風が吹く。教科書で習った遣唐使よりもはるかに高い頻度で実は交流があった。遣唐使は20年に1度ぐらいの割合だが、渤海からは2年に1度ぐらいの頻度で使節が訪れていたらしい。
米子から韓国、ロシアへの航路が開かれた。今はどう交流していいかわからないところだが昔に学びたいと。

今夜は⑥“蒙古襲来”だ。

昼間は、昨年一緒に行ったエビの産地訪問「確認会」のメンバーで集まって同窓会のような昼食会。渋谷のインドネシア料理店。あのとき工場側で撮影していた画像がDVDになっていて鑑賞。マスターに記念写真の撮影をお願いした。

2009年9月26日土曜日

訓練未熟


人の話を聞いて、いい話だと思うがあとで覚えていない。だからメモをとることを人生の随分以前からやっている。ただメモをとることだけですましていて、やはり覚えていない。

だから、人の話を正確に理解できたり、覚えたりしているわけではない。だが、文章にまとめるようにしたら反復できるようになった。ただし、私流の解釈になるから、核心を捉えているか自信は無い。これではいけない。

文章の訓練を積まねばならない。永井荷風「断腸亭日乗(だんちょうていにちじょう)」(17年~59年)。『私的小説のすすめ』(小谷野敦さん09年7月)ん~ん。

人生の折り返し点をとうに過ぎた。  
今日は娘を呼んで鍋と焼酎を振舞う。

2009年9月25日金曜日

安全と信頼


JALに一番欲しいのは「安全」だと思った、そう信頼だ。
ずっと以前に再建策を打ち出したときのことだ。ファーストクラスの追加充実ではないだろうと。

交通事故より確立は低いと言われる。現金なもので客離れがおきて空いているから逆に乗るのに便利で利用することが多くなった。パックツアーにしてもダンピング率が高いようにも考える。

『沈まぬ太陽』(原作山崎豊子さん)の映画がいよいよ10月に封切られる。モデルの小倉寛太郎さんとは少しイメージが違う。かんらとお笑いになるあっけらかんとしたお人の印象があった、どこに小説のようなエネルギーがあったのだろうかと思える感じだった。結局はアフリカが好きで入り浸りだったようだが、風が通り過ぎるように早くにお亡くなりになった(02年)。岩波ブックレットにサインをいただいたのが昨日のようだ。

いずれにしても、半官半民、国策会社を当時の政権党やそれにおもねる面々および郎党が、子会社やトンネル会社、関連会社をつくって好き放題さんざん食い物にしていたことに不振の源流がある。モノ言う良識を排除閉じ込めてしまった巨大組織だった。「労働組合」さえも。小説『沈まぬ太陽』はそれをモチーフにしていると理解している。

体質はあとになって“不祥事”として会社に大きな穴をあけ、且つ信頼を損なう、それはまた手抜きとなって一番恐い安全に跳ね返る、その構図がみてとれた。JALに乗るのは「危ない」と。客離れだ。

西松遥社長は自らの年収を07年度に960万円にし、都営バスで通勤、社員食堂で並んで食事をとるなど率先垂範の様が賞賛を浴びた(08年12月byCNN)。

万策尽きたのか1000億円の資金繰りに窮してSOS状態だ。6,800人のリストラを行うという。いよいよ生首が切られる。

元はと言えば国民の財産が身売り同然の事態だ。

本業の基本に立ち返ることしかない。安全第一、信頼回復、心地よく正確に人とモノを運ぶことだろう。JALに一番欲しいのは「安全」だと思っている。

2009年9月24日木曜日

へたに連休なんか


 あれもしなければいけない、これもしなければいけない、そうだこの連休にしよう、とそう思っていた連休が終わりました。私には変則的な連休でしたが、とくに何もしませんでした。疲れをとるのが関の山、最後は「ぼーっ」としていました。

 開けて本日。
 へたに連休なんか無い方がいいと叫びたくなるような忙しい日でした。 普通の製造業は流れが止まるのですが、事実上、年中無休の流通業は止まらず懸案が滞留するばかりです。どうすることもできないことを責められました。
 便利さ快適さ、はけ口というものは、結局は何かに誰かに大きくしわ寄せがあって成り立つようなものだと感じます。

 成果主義的目標面接、機械的に行われます。詰まるところ、ああそうですかと「イエス」か「はい」しかないわけで、これでは活力が失われるのではないかと考えます。数値に表わす虚偽の成果を求めていますから、形の上の繁栄で空洞な組織になっていきかねません。それをまた繕うような仕事が巡り巡ってきます。モダンタイムスを連想せざるをえません。

 愚痴になったのかな。

 長男夫婦が訪ねてきていました。ミュージカルはあちらのご両親も観劇していただくことで券を買ってもらいました。