2009年11月20日金曜日

泣かない子


ワンセグが欲しかったらしい、よく計算をして、あまりお金のかからない方法で最新式に取り替えた。いちにちふつかは操作に手間取ったようだが落ち着いた。機嫌がいい。私にはそういう新しいものに挑もうという気がないからいつも見習う。

「武蔵野夫人」(1950年、大岡昇平)の舞台となったところあたりを、あっちへ行きこっちへ行くことになった。玉川上水に出たり国分寺へ出たりしている。不案内だから、新宿から中央線を辿ってくるとどの辺になるのか地理的感覚を実感して、遠方より訪ねて来る人にも案内しなければならない。

悔いが残らないようにと配信メールで檄が飛ぶ。その様子をブログにどんどん書き込めばいいのにと思う。どこそこで駅頭パフォーマンス(宣伝)といえば、観に行こうかどうかと迷っている人にも参考になるし、無論知らない人にも目に留まる。公演月はあっという間に過ぎるというのが経験者の実感だったらしい。行ってくるからとメールを残して行った。私はラップをしてレンジアップすることを覚えた。

「泥の精」が抱く赤子は、泣かない子だ、不思議だ。

2009年11月19日木曜日

やめる


崩れた空模様が雪になっても不思議ではないほど冷え込む。

森永卓郎さんの『やめる』を新書版(09年6月刊)でもう一度パラパラと読む。実はいつでも「やめてやる」を胸に秘めている、いや「やめたい」の弱気の方だろうか。

「トリイステーション」は昨年の沖縄訪問のコースに入っていた。これは米軍基地のひとつである。秘密諜報組織(つまりスパイ組織)と謀略部隊であるグリーンベレーが駐留しているらしい。米軍および軍属による様々な傍若無人の所業を沖縄の人たちから聞いていた。印象によく残っている。そして、ここに所属する兵士が県民をひき逃げした。激しいスピードで跳ね飛ばし救助もせずに逃げたとしか思えない。そして「日米地位協定」に守られている。欧米列強による19世紀の不平等条約のことや植民地支配を想起する。そんな日米関係ならやめていいのではないか、もういいかげんに。

デフレに陥っているのを職業で実感している。流通業にとって「今を耐えればなんとかなる」という展望はない。トップは来年になれば、再来年になればなんとかなるだろうということはないと自覚している。とにかく売れなくなったから価格訴求に突き進む、つまり安売り合戦だ。そうでなければ競争に負ける、倒産すれば元も子もない、ともに路頭には迷えない。製造者も悲鳴を上げる。価格の引き下げ、協賛金の「自主的」アップを迫られているらしい。製造装置を稼動させなければならないから「売れないよりマシ」というジレンマに陥り値下げに応じる。流通業も製造者も今度はなにを削るか、人件費だ。物件費はもう鼻血もでないほどにカイゼンが進んでいる。人件費を削るから人々はまた家計の節約をせねばならず購買力は一層後退する。限られた次元・空間のなかでみんな一生懸命なのだけれども、つくり続け、売り続け、買い続けなければ経済が成り立たないという。恐慌がずっと続いている状態で資本主義が立ち行かなくなっている。
「やめる」「たちきる」のうねりが必要なのだけれども、共同社会、価値の転換、未来社会がさまざまに描かれつつある。

2009年11月18日水曜日

観に来て


村に住んでいるわけではない。もうこうなれば同胞(はらから)だ。
乗り過ごした、いったいどこで寝たのだろう。今日は2枚売れた。Aさんが帰り際に2,500円寄こすから、義理で買うのではないよね、必ず観に来てくれるよねと言って、売った。雨が降ったようだが、星がきれいに見られた。帰って来たのは真夜中だ。ぜったい、つながり。

2009年11月16日月曜日

手応え


Yさんのお兄さんは知る人ぞ知るヒトだ。で、それがどうしたと言うぐらい普段は苦虫をかみつぶし、とくに喜怒も哀楽も出さず、もうこれ以上俺の人生ほど面白くないものはないといった顔をして仕事をしている。で、その彼に営業した。関心を示すようでもないので、渾身のお手紙、いやメールを送った。根負けという感じで、お義理で1枚買ってくれた。実は夫婦で観に来て欲しかった。快活な奥さんも知っている、そしてその世界では有名なお兄さんにも。きっと気に入ってもらえると思うし、気に入ってくれれば吹聴してくれるだろうと。

お世辞はおろか愛想のひとつもくれぬそのYさんから朝一番にメールがきた。ミュージカル良かったと、で奥さんはどの役やっていたのと。やったね。いや、ウチのはその他大勢ですから、ほら手をカマキリのようにして舞台上手(かみて)に迫る踊りが始まったときの一番端にいた熟女、あれ。と答える。

昼休みにはUさんに市民がつくるミュージカルのこと、有明の海のこと私たちの故郷につらなる干潟のこと、メッセージのこと、歴史のこと、諫早の地元の民主党のこと、そしてあらすじを話した。夫婦で観に行ってくれる。

3枚お願いしますとKちゃんからメールが入った。手紙は出していたけど反応はなかった。階段ですれ違って、またお勧めし、じゃメールくださいということでご案内のメールを送っていた。で、また返事がなかったので無理を言ったかなとあきらめかけていた。飛んでいって前売り券3枚お渡しし代金をいただいた。家族でいってくれる。

ものごとには手応えがあるとうれしいものだ。

2009年11月15日日曜日

第2回目多摩公演終了


 「いい天気になりました」今日の会場の実行委員長のご婦人の挨拶はこの言葉で始まった。
 玉川上水、場合によってはここに住んでいたかもしれなかった。ここから初めてモノレールに乗り南下、終点へと向かう。富嶽とはよく言ったものだ実にきれいに見える。

 同じ武蔵野でも地域性がある、客席からの反応の仕方が違うらしい。今日は“ポンポコリンの山”だったはずの多摩が会場だった。昭島の会場の反応はおとなしかったらしい。だからといって不評だったのかというとまったく逆でアンケートは「よかった、泣けた」のオンパレードだった。昨年の福生(ふっさ)もそうだったらしい。

 前の方に座ったから耳でしか会場の反応と入りがわからなかったが、フィナーレになれば拍手は鳴り止まなかった、会場が明るくなり思いっきり後ろを振り向けばなんと埋まっていた。やった!よかった。

 生きとし生ける生命を絶ち、干潟を破壊し、海で生業(なりわい)をする漁民の生活を狂わせた、なにを以ってあの水門293枚を閉めたのかと、あのころにかえろうというメッセージ性をもった構成のミュージカルである。あのころとは。
 素人がやるからといってお稽古の発表会でもなければ、メッセージがあるからといってお説教でもない、格調高い見事なミュージカルに完成されていると思われる。玄人裸足だ。だから、たとえ義理と人情、半信半疑でお付き合いで観に来たとしても、帰るまでには、おおっとこころが動き、泣き上戸は泣き、皆が自ずと拍手の手拍子に加わり、それが鳴り止まぬ。提起された「在り方」、生き方は、私たちの憲法にまつわることだという。自分の頭で考えてみたい。キャストには諫早の泥を見に行った人もいたそうだ。そうして見事な役を演ずる。皆が同じ生き物どうしに成りきる。
 常設の練習場を持つわけでもなく、毎度借りた稽古場を渡り歩き、いつも空調があったわけでもなく、交通費もなにもかも全てが自前で、仕事の合間の土日をつぶし、今日(こんにち)までに至った。出演者には幾度も参加し経験した人もいるだろうが、初めての参加者には全てが新鮮である。

 導入の荘厳な音楽が私のイメージには江戸の時代が想起される。博多の西南に背振山(せぶりやま)がある、これを越せば向こう側は佐賀。その山中で聞いた九州弁は濃すぎて同じ九州もんの私でもわからなかった。はるか見渡せば瑞穂豊かな佐賀平野がある。クリークが縦横に走る、元を辿れば海だったところだ。封建の昔、米の生産が経済の本位であったころは田畑を増やすことは国を富ますことであった。有明の干拓は今に始まったことではない。しかしその歩みは徐々に行われ、干拓ができるころには彼方に新しい干潟が形成されていた。佐賀の平野は分をわきまえつつ徐々に増えていった。
 しかるにだ、「何が起きたのだ」生き物からみたらそういうことになったのだろう。だからセリフは擬人化して「何をしたんだ!」になっている。人間のしたことについて、繋がる海と生命を断ち切ったこと(死)への怒りだ。なにをしたのか、1997年4月14日以降のこと。人がしたことは人がやめられる。人として関わりと希望を捨てない。

 いずれ腕に覚えのある人たちとはいえ、普通の市民がこれほどのことを演じられるものか、見事なものだ、自然な態の“成り切り”も素敵だ。Rちゃんもきれいだ。今、公演中のミュージカル・ムツゴロウラプソディ。

 握手をくださった作・演出の田中暢さん(黒い服装)の手のひらは温かくやわらかかった。

以下は好評のうちに終了
 2009年11月 7日(土)  昭島市民会館      
 2009年11月15日(日)  パルテノン多摩
    

以下が次の公演。気取らずに表現すれば「もう、観なきゃ損!」
2009年11月21日(土)  飯能市市民会館 開場17:00 開演18:00  
2009年11月23日(祝)  武蔵野市民文化会館  開場15:00 開演16:00  
2009年11月29日(日)  立川市市民会館        
 【昼公演】開場14:00 開演15:00 、【夜公演】開場17:30 開演18:30

2009年11月14日土曜日

喝采


 BS歌伝説「ちあきなおみの世界」を見終わる。この番組自体が再放送で構成される。客席は暗くよく見えない。アンコールの拍手が鳴り止まぬ。
 
 最初から泣いてどうする。そう、あと4会場5公演もある。真ん中の“あんこ”が大事。なんたって初心の緊張が弛緩してはいけない、ヨガではない。

 買ってくれそうな人から始まって、買ってくれそうもない人への営業になる。そうすると返事もくれない。そう、営業というのは頭を下げてくいさがるもの。お金をいただく以上は不具合な商品や作品、サービスを売るわけにはいかない。その点、商品部(仕入れ)、製造工場へは念を押す。「顧客満足」というものに粗相があってはならない。

 すれちがいざま、あの件でと話しかける。生返事なのであとからメールをいれる。しつこいかなと思うが、チケット買ってくれるまでは。ひとには好き嫌い、関心無関心、都合不都合というものがある。読まねばならぬ、斟酌しなければならない。食わず嫌いがあるかもしれないとも思う、難しい。

 TさんWさんにも重ねて話をしたところ、わざわざ事情を示してくれて観劇できないと断ってきた。無理を言ったと悟る。今日はロッカーが隣同士になったのでMさんに勧めてみた。Hさんから1枚とメールをいただいていた、もっと宣伝してあげるとも。地域的に可能性のある他のブログにも掲載をお願いし取り上げていただいた。

 話は変わる。「ちくわと納豆です」と言うのが可笑しい。そうだ、この本、言葉を生業(なりわい)にするあの人に贈ってあげようと思った。Tさんからも本は買うよと返事をもらった、義理ではない。

 話は戻る。ちょっとしつこく見てみたら4月24日が初発のようだ、募集のことを一般論として触れた。6月6日にチャレンジ・応募したことに触れ、たしかにその後、折りにつれて触れている。つれあいが新しいことに挑んだ、その新しいこと、つながりのできたこと、わくわくどきどきすること、自分にはたいしたことできないけれど日記に書かずにはおれない。公開日記だから人様に気持ちをすこし伝えられる。息を吸い、できるだけ背筋を伸ばすように生きているから。

 明日は2回目の公演。お願いをして来ていただいた人たちから喝采を浴びて欲しい。

 *石橋先生のお宅のこけし

2009年11月13日金曜日

友好


 車体から身をのりだした連中がゴリラに見えた。シークレットサービスの車が通り過ぎる。そのあとを、どれがどれだかわからぬ黒塗りの車があっという間に通り過ぎた。御所を出た丸太町通りで待ち構えていたところに出くわした。米国大統領のフォード氏を「帰れ」コールで迎えたときのことを思い出す。30数年前のことになった。

 たとえ一部といえども国土が占領されカーキ色または鉛色の軍事基地となり、滞在中であろうがなかろうがクーラーも照明も24時間365日点けっぱなし。「思いやり」という快適な住居を与え続け、目が潤むような濃い緑の山林ヤンバルや、晴れやかなエメラルドグリーンの珊瑚の海を蹂躙され続けている。基地の事故と犯罪でいったいどれほどの市民が手ひどい目にあったことだろう。不当を情に訴えれば、こういうことだ。

 この不当性を正常にしてくれ、これを対等にしてくれと言うのを「反米」とは言わぬはずだ。真の日米友好とは何かそれを掛け合ってもいいと考える。