暮らしや産業が大変なところという私の知る限りからのイメージである。
しかし佐渡は豊かな島だなとの印象をもった。
地図を見てもまったくそのとおりの海岸端にへばりついたような古い集落のYさんの実家を訪れた。その限りではどうやって暮らしてきたのだろうという、昔の天草や甑島と変らぬ印象だった。
歓迎の宴に集まった村の主だった人々の言葉、親戚縁者の人たちが心をこめて作ってくださった地元の料理(海山の豪華な)、を聞いて見て食べてこれは西日本(上方)系だなと思った。お煮しめは遠く離れた九州の片田舎の味付けと変らないなつかしい味付けだ。明日は集落の祭りで「芸能の里フェスティバル」という。それが目当てで寄せていただいた。
海岸通りから一軒奥まったYさんの実家に足を踏み入れてまず、たまげた。太くてりっぱな梁、大黒柱。その梁がぜいたくに使ってある。漆塗り。聞けばひいじいさんのとき、約150年前に建てたという。私の故郷の尺度から言えばこれは「お屋敷」だ。床の間の座敷は既に開け放ってあって、大宴会の準備をみんなでやる、こうなれば合宿所並みだ。何人入ろうが座敷は広い。
ジェットフォイルで佐渡港に着けば“いかにも”の「♪佐渡おけさ」で迎えられる。私は初めての訪問。故郷自慢するのでいつも話だけはYさんから聞いていた。着いて初めに大佐渡で標高800mぐらいの眺望のよいところ(トンデン山)に車で一気に登って昼食をとる。ここからは佐渡の島が地図の通りに見えた。北
Yさんの村は「野浦」という。小佐渡の北端をまわり東南側(新潟に臨む側)に面して3、4個所の集落を越えたところにあった。浦という地名の通り船着場であったらしい。北前船があの大きな岩場の風向きによってこっちかあっち側に停泊したのだと。縁起をみると往時には4軒の船宿があったらしい。あの大きなまっすぐな屋根が見えるだろう、あれがかつてはそうだったとYさんの兄上から教わる。
こんな山の端の海岸の集落のどこに田んぼがあるのかと聞いたら明日案内する段取りになっていると。それで案内されて驚いた。集落を山の側に入った道を上がっていけば、いくらでも棚田が続く。それも比較的広く、美田だ。裏山を3~400mのぼったところまで続いていて、もうあそこが稜線だという近くまであった。
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